【令和の幸福論】不健康と自己否定は「セルフ虐待」という話。

こんにちは、キャリアコンサルタント三上です。
◆いつか別れるから誰も愛さないなんて悲しい
週末は長時間酒を飲む私が言うのもあまり説得力ないかもしれませんが、
不健康は肉体的、自己否定は精神的な「自分への虐待」なのでお勧めしません。
自虐的・悲観的に生きるのも自由ですが世の中にゼロリスクは無く、例えば人が死ぬ確率は100%。
じゃあ誰とも出会わないのかというとそうではなく、いつか必ず訪れる別れを知っているから目の前の人を大切に想い、その瞬間を慈しむことができる。
いつか来るお別れが悲しいから誰も愛さないなんて極論ですし、それこそ何にために生きてるのかいよいよナゾです。
要するに物事の見かた・捉え方という話です。
もう少し詳しくご説明します。
◆自分の思考を「へ~」と観察してみる
本来、思考(マインド)は自分(心)とは別物で、分かりやすく思考を「脳内のコビト」だと設定します。
思考に居座る脳内のコビトは人々のマインドをコントロールすることが仕事なので、
「あなたは劣っていて全然ダメだから価値はない」
「お前アイツらにナメられてんぞ仕返ししてやれ」
「時間無いぞもっと急げ焦って焦ってもっと慌てろ」
とイタズラ繰り出してきますが、その状況を客観的に「またコビトが何か言ってる」と観察するだけ。
自分のことをロジカルにも感情的にも正確に捉え、思考と心は一致してる!と思い込んでる人ほど
実はこの「脳内のコビト」に自分自身やられてることに気づいていません。
そもそも「思考(マインド)と自分(心)とは全くの別物」なので。
◆人には上下も優劣も無く「ただ存在してる」だけ
上見ても下見てもキリないどころか、人にはそもそも上下も優劣もなくて、
草木や植物のように「ただそこに存在しているだけ」なので、いいも悪いもないどころか相対比較で幸・不幸をジャッジするのはいよいよナンセンス。
話しを結論に戻しますと、どう生きようとその人の自由。
卑屈に、自虐的、攻撃的に、被害妄想よろしく物事をとらえて人や社会を怨み、暴飲暴食して自分を肉体的・精神的に痛めつけるのも自由。
ただ、私個人の考えとしてはその生き方は非効率なので、不健康や自己否定で自分を責めたりイジメたり、期待を他人に預けるのはストレスのもと。
コロナ同様ゼロリスクなんで無いし、どうせ人は100%の確率で死ぬのであれば、
・脳内の小人とは一定の距離を置き日々機嫌よく
・自由自在に心のままただそこに在るがままに
生きた方が幸せかなって思います。
本来人はただ息しているだけで100点ですし、その笑顔が最強のソリューションですので。