「ガチで評価」するのやめませんか?

こんにちは、キャリアコンサルタント三上です。
◆「期待」を押しつけちゃう消費者
Amazonや食べログの弊害だと思うのですが、提供された商品やサービスに対して社交辞令抜きに「ガチ」で評価する人がここ数年ですごく増えたなぁと思います。
サービス出品者(提供側)として私は、常に全力で手抜きせずアウトプットしているので「評価は(してもしなくても)勝手にどうぞ」というスタンスです。
また、商品やサービスに対して感想や評価をすることは品質改善・向上につながるのでありがたい一方、平然と「期待以下でした」ってコメントできちゃう人の感覚ってすごい引く。
外部の誰かや何かに期待することがストレスを生むのは明らなので、「人や物事に期待し、その結果を☆の数とコメントで評価するって行為が好きじゃない。
そして、昨今この行き過ぎた「評価至上主義」によって売る側買う側にも弊害が出ているなぁと感じています。
◆根も葉もない評価に振り回される売主
対価に応じた価値を提供することは当然です。
しかし、上記のように感情的に「裏切られた!」と恨み節で書き込むことは違うかなと。
現に、食べログやらAmazonの根も葉もない口コミや酷評でマーケットを自由に放任し過ぎた結果、限界が生じてませんか?ある程度規制は必要だと私は思います。
市場原理で物事なんでもうまくいくわけがなく、詐欺コメもガセ書き込みも生まれる。
なんでもかんでも自由はさすがに行き過ぎで崩壊します。
◆勝手に期待して裏切られたという消費者
一番の弊害は「被害者意識」の醸成だと考えます。
例えば、
・買ったりんごやバナナが多少腐ってても
・料理の味や接客や提供スピードいまいちでも
・商品が不良品でないけどちょっと微妙でも
「ありゃついてないわ~笑」で済ませた方が健全な気がする。
「消費者の評価は100%正しい」みたいな誤った価値観が浸透すると、期待以下だった時に本人(消費者)はもちろん売主(出品者)も傷つくし怒るしなんか悲しい。
もちろん、手抜きや嘘や詐欺、完全に騙すつもりで騙すは論外ですが、そんなもんほっといても自然淘汰されます。
そもそも「自分が勝手に抱いた期待」を評価に反映させるって自己責任じゃなく他責・他罰的な気がしませんか?期待って自分の価値観の押しつけでしかない。
サービスリクエストのような改善可能で建設的提案なら分かりますが感情的クレームってほんと双方に生産性ないどころか単なる「恨み節」…。
自分かわいそう!的な被害者然とした生き方って心も人相(顔つき)もゆがむ気がするので、少なくとも私は自責でいたい、それを選択したのは自分てゆう自責で。
りんごが腐ってたら笑い飛ばせばいいじゃん。
◆もう「ガチ評価」やめない?という提案
そこで、商品やサービスに「過度な期待」するのはもうやめませんか?という提案です。
身勝手に抱いた過度な期待や基準に満たなかったら怒り感情=低評価ってすごく上からで品がない。
それでも評価グセが止められなかったら、実名顔入りで消費者も評価される仕組みつくるとか。
匿名だから好き勝手評価したがると思うので、どこに所属している誰くらいは出した方がフェアかと。
けれど、相互監視社会なんてもっと窮屈ですよね…。
◆「ありがとう!(そして永遠にさようなら)」でよくない?
本音と建前や社交辞令ってとても素晴らしい日本文化だと思っています。誰も傷つけないし、ぎすぎすもしない。
期待以下だったら評価しないで黙って去るか、☆5つ付けたうえで、
「ありがとうございました!(本心:二度と利用しないけど)」でよくないですか?
愛していたのに裏切られた!
って私は言いたくありません、一度は本気で信じた自分を否定することになるので。
自分が決めた人、買った商品やサービス(詐欺や不良品は置いといて)はすべて信じたいし肯定したいし、選んだもの正解って思ってストレス溜めずにしかめっつらではなく日々機嫌よくいたいです。
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