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もう、分かり合うなんて疲れることやめませんか?    

 

「そんなこともできないの?」

 

「なんでそんな発想になるの?」

 

「今までなに学んできたの?」

 

「もっと頭使って考えられないの?」

 

はっきり「バカだなお前」と言われるよりもキツい言葉はあります。

 

◆言葉は人を殺す

互いの信頼関係が構築された上での発言と、相手と考え方が違う、肌が合わない、なんとなくいけ好かないという理由で理不尽に嫌われてしまうことがあります。

 

どちらが悪いということを断罪することは誰にもできません。発言者としては、自分はこれだけ出来て、相手にもこれだけのパフォーマンスは期待するという尺度で叱咤する場合や、家庭の問題やもともとの性格など、 自身の心理的情緒が不安定で、それが怒りとなり相手にぶつけてしまうケースがあるからです。

一方、言われてしまう方も、本当に人一倍努力をしてもとてつもなく時間がかかってしまう要領の悪さがあったり、あるいは普段から自分の時間は大切にしたいから、飲み会など全ての誘いは断ったり、 やれと言われたことにも一切耳を貸さなかったり我が強くて嫌われる素養を持っているケースもあります。

 

だからこそ、互いを尊重し、かつ、適度な距離感というものが大切になるのですが、なんらかの理由でストレスを抱えていると、周囲に当たり散らす人間は、良し悪しは別としてある意味人間らしいのかもしれません。

 

かと言って、

両親が居ない人に

「あなた孤児なんだって?」
 

事情で子供ができない人に

「まだ子供いないの?」

 

お酒アレルギーの人に

「酒飲めないの?付き合い悪いな」


という発言は、相手を貶め、怒らせるどころか精神は殺されます。このようなデリカシーのカケラもない独善的な発言をする人たちの大義名分は、


心理的距離を縮めて仲良くなって仕事を円滑に進めるため
 

ということらしいのですが、

距離を縮めることを善としている風潮に違和感がありまし、そもそもそんな事をして仕事がスムーズに進むのでしょうか。

それは、残業を善と考える昔ながらのステレオタイプ型人間と共通するかもしれません。遅くまで働き、お客様の命令は絶対で、効率や改善などとは縁遠い。硬直化し官僚化した組織からは、イノベーションは生まれない と考えます。

参考

伊藤忠社長 夜型で接待多い商社マンに「110運動」の大号令

 

 

◆寅さん映画に見る人との距離感

寅さんでおなじみ、渥美清さん主演の下町葛飾柴又を舞台にした「男はつらいよ」という映画があります。

寅さんの実家の団子屋さんには、隣で印刷工場を営む通称タコ社長が、毎日のように家に上がり込んで世間話をし、食卓を囲んでお酒を飲みます。

寅さんのおじ、おばにあたる団子屋の主人と奥さんは、「あんた(タコ社長)のとことは親戚みたいなもんなんだからなにも遠慮することはないんだよ」と言って、非常に 心理的距離の近い付き合い方をしています。 

仕事と家庭という場面の違いや、平成と昭和という時代のギャップはありますが、この近しい距離感というものが、職場における「飲みニケーション」だったり、古くから継続してお付き合いのある業者に仕事を依頼したり接待で仕事をいただいたり、という風潮が根付いている業界や企業がある のだと思います。

その信頼関係を前提として距離の近さで、よしなにする、悪いようにはしないという便宜を図りながら仕事をするという風土を醸成してきたのだと思います。

 

今でこそ、その辺の付き合い方は古臭く、親から承継した子供が、より合理的に古くから付き合いのある業者よりもコスパのよい業者へ切り替えたり、大塚家具のように親子で袂を分かち、大幅に経営戦略の方針を変えたりなんてことはあるでしょう。

 

話を社内に戻しますと、ハラスメント防止に厳しい世間の目が向けられるようになってからは、「結婚はまだ?」「酒付き合えよ」と言った会話は殆ど無くなり、公私を完全に切り分けて仕事を行う企業が増えてきたとは思います。
 

とはいえ、人が人と仕事をする以上は、人間関係においてその心理的距離の取り方、間合いの詰め方は人それぞれで、中にはそのような非常に情の深い、濃い付き合い方を望む方は、どちらかと言うと年配の上司世代の方に多いと思います。

そのような世代間ギャップであればまだ理解は示せるものの、人が人として、組織人である前に独立した個人として存在しているにも関わらず、相手の事情や背景を察しないで辛辣な人格否定の投げつける人は居ます。どうすればよいでしょうか。

  

◆歩み寄るなんてしなくてもいい

嫌われる勇気、とまでは言いませんが、そもそも人間同士が分かり合えるというのは家族間でも衝突や意見の食い違いがあるくらいですから、よほどどちらかが一方的に合わせない限りは無理 だと思います。

嫌われてもいいという心の強さを持てればいいのですが、少なくともぎすぎすしているよりは、周りの同僚や上司とはうまくやっていきたいですし、困った時に誰かに助けてもらうことだってあるかもしれません。ですから、 普段から適度にコミュニケーションは取っておいた方がいいことは言わずもがなです。

ただ、だからと言って、年齢や経験や役割が上であるからという謎の不文律に縛られて、相手の言動に一方的に縛られて苦しめられる必要は無いと思います。
 

間合いを詰めて、自分からできるだけ歩み寄るなんて努力をしているだけで心も思考もヘトヘトになります。ただでさえ仕事で山積しているのに、そんなことに時間を使うことが非効率でバカバカしい。
感情を挟まずに相手に言われた発言内容に憤りや違和感があるという旨は伝え、押し付けられそうな業務があったら、「出来ないもなは出来ません」と、事情を踏まえて 発信した方がいいのではないでしょうか。

 

とはいえ、なんでもかんでも自分の価値観や我を貫き、組織や上司の指示に従わないとなると、それはそれで問題です。組織人である以上、その時点で既に「合わせる」という心づもりができた状態で入社しているわけですから、そんなに自分が正しいというのであれば、その企業にしがみつく必要は無い と思います。

 

◆価値観を尊重し、適度な距離感で

所詮、人は分かり合えないものですし、相手に期待しても無駄だと思います。なんでこんなことも出来ないんだろうという上司は、その部下に期待し過ぎてイライラし過ぎです。

また、なんでそんなことを言われなければならないんだろうと思っている部下は、上司とは、非の打ち所がない聖人君子を期待し過ぎなのではないでしょうか。

完璧な人間は居ないということは自明なわけですから、立場や年齢、役割を超えて、全ての人間は関わる相手に期待しないで、やるべき業務に真剣に取り組み、誰もやらないで見て見ぬ振りをしているなら、自分が率先して行えばよいと思います。

それで、自分はいつも損ばかりしている、とか、結局頑張る人ほど損をすると考えるのであれば、手を抜いて適当にやればよいです。



組織人も、独立している人も、上司も部下も同僚も、そのように相手に期待せずに生きていくには、自分の確固たる信念と圧倒的な知性、そして心の強さを持たなければいけません。

ただの我がままだと思われ無いためにも、適度に相手とは関わりながら、仕事でしっかり実績を積み上げて周囲に実力を認めてもらう。そして、相手の価値観にも敬意を払いながら、しかし、くみすることなく、やることだけやる。



そうもいかないんだよ現実は、という現場や状況はあるかも知れませんが、所詮助け合いや知恵の出し合い、連携や協力というのはまぼろしで、仕事を突き詰めていけば、実のところもてもすごく孤独な作業で、個人が個人として別々に仕事をしているだけ なのかも知れません。



理想の職場や働き方の考えはそれぞれですが、それでもいいと考えます。チームワークは、自己責任の伴う独立した個の集合体の中でしか生まれないと考えるからです。

チームの前に、まずは自分が個として強くなる。知性を磨き、心を鍛える、ということが大事で、それが土台となり、チームプレイや組織としての連携や協働作業に昇華していくのかなと考えています。

無理に距離を縮めようとしたり、間合いを詰めて仲良くなろうとする事はせずに、心が疲れている原因が人間関係なのか、膨大な業務なのかの切り分けをする。それで、ただただ余計で濃密な人間関係に悩まされることが原因であれば、自ら距離を置いてもよいと思いますし、そのような情深くて濃厚な人間関係に合わなければ、その仕事を離れることも一案だと思います。

 

悩み事の棲み分け・切り分けとを行い、対処・改善できるものに関しては我慢せずに冷静に状況を知らせ、改善できない見えない雰囲気や風土であれば、転職を考えてもよいのかも知れません。




相談できない人も、誰かに話を聞いてもらうことで救われることもあるでしょうから、困ったことがあったら連絡してください。