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仕事は人生を豊かにするのか?

◆仕事は好きですか?社会(他者)と私について

 

働くってなんでしょう。なぜ仕事をするのでしょうか。

 

・生活するため
・経済的自立のため
・自己実現のため
・暇つぶしに
・好きだから
・社会貢献のため
・両親への恩返し
 

様々な理由はあれど、働いている人が大半ですし、これから社会に出る準備をしている就活生や、就活を終えた学生も、仕事をする=働く、というのとに人生の大半の時間を使うことになりますね。

 

根本的なことですが、なぜ働くのでしょうか。

そして、働くとはどういうことなのでしょうか。

 

もし、生まれながらの資産家や地主の子供として産まれていたら、働かない選択をしたでしょうか。

 

働くこととは、仕事を通じて世の中になんらかの価値を提供することだとするならば、自分が社会と同心円上につながっていて、そのつながりを無意識のうちに求めているから働いている、という仮説を立てることができます。

 

人は、なぜ社会とつながりたいのでしょうか。社会とつながる、それはすなわち、自分以外の他者とつながるということに置き換えることもできます。

 

・他者とのつながりを大切にする根底には、さみしさが絡んでいるのか。

・それとも、他者と比較して自分の優位性を確かめたいがためにつながっているのか。

・はたまた、自分が力を誇示し、その力を表現するために他者を利用しているだけなのか。

 

そんな、他者=社会とのつながりを求め、人は仕事をして社会人となる。

そこで、自分以外の他者や社会に、自分の言動によりなんらかの価値を提供することで、生を実感するのかもしれません。

 

つまり、自分が存在している意義・意味・価値・手応えのようなものを、仕事や社会生活において感じたい。だから人は働く、という理屈です。

 

もちろん、人によって定義は違いますが、

 

・仕事を通じて何らかの形で自分の生き様、爪痕、痕跡を残したい。

・自分が自分として存在たらしめていることを、社会や他者という対象に対して反応を得ることで認識したい。

・少しでも誰かの役に立ちたいという献身的なサービス精神から湧き出てくる自然な情動。

 

そのような理由なのかもしれません。

 

 

◆ネットは社会との接点になりえるのか

働くことで自身の存在や生の実感を味わうことが本質であるならば、それは物理的に企業に通勤して生身の人間と接して得なければならないものでしょうか。

 

ここまでネットが発達し、世界中の他者と一瞬でつながり持てるのであれば、社会に出て働くということの意義や価値は薄れ、いずれSNSなどネットだけの社会に変容していくことだってあるかもしれません。

 

効率的な人や話が苦手な人は、ネットというツールをうまく活用して、新しい社会とのつながり方を模索できる選択肢が広がったことは良いなと思います。

 

生の実感、自分のアイデンティティを確実に、手に取るように認識し、大いに味わうことができれば、スーツを着て通勤するスタイルが常識ではなくなる日がくるでしょう。

 

全ての人びとが、自分らしく個性を発揮しながら場所や時間にとらわれない働き方を選択できれば、今よりも生きづらさや働きづらさを感じている人のストレスや、ルサンチマン的な強者に対する嫉妬や反感が減少する気がしています。

 

 

◆それでも生きていく

前回のブログ、孤独は好きですか?幸せの基準について考えてみるでは、自分の存在を確実なものたらしめるためには、自己と向き合い、自己に意識的に責任を追いながら、 思考し、発言し、行動していく習慣を身につけていけば、少しずつ、自立した人間に近づいていけるのではとお伝えしました。

 

薄ぼんやりとした自分の姿や存在に、確固たる自己責任のもと、他者や社会とつながりを持ち誰かのためにお役に立つことが、生きていということであり、働くということであり、自分をありありと明確に存在たらしめるものなのかもしれません。

 

最後に満足して終われれば。

最後の最後で笑えれば。

 

こんな幸せなことはありませんし、全ての事象は全て未だ見ぬ未来の過程(プロセスの最中)であるならば、小さいことで悩んだりくよくよしたりしないで、疲れたら寝て、また明日から気持ち切り替えて頑張れば納得のゴールを迎えられるような気がしています。

 

就活も仕事も、疲れたら人生の歩みは止めてもいいし、むしろ振り返ったり後退したりしてもよくて、自分のペースで少しずつ、けれど着実に前に進むことが大切なのだと考えます。

 

もし、働くことが生きることなのだとするならば、生きることは働くことではなく、考えを止めないことなのかなと思います。思考を止めない、考えて考えて最良の解を出していく作業の繰り返し。時に堂々巡りになってしまう時には、誰かに話を聞いてもらう、SNSで発信して考えを整理する。どうしても、解が導けないで煮詰まったら寝る。

 

そのように試行錯誤を繰り返しながら、
どうすれば今より良い状態、状況、社会になるかを考え抜く作業。これが、生きているということであり、働くということの本質なのかなと思います。

ですから、社会に出て仕事をしなければならないというのは社会規範の枠組みの話であり、
本当は、自分を認知・認識するために社会とのつながりを持つために、思考を止めずにどのような生き方があるか考えてみた結果、たまたま社会人となって仕事をするという選択肢の1つがある、という位置づけです。

 

もし、考えを止めてしまったら。完全に思考を停止してしまったら。その時には、体は生きているけれど、魂、精神は死んでしまうのかもしれません。社会とのつながりがなくても生きていける人もいるかもしれませんが、「日本の将来について」という大きなものから、「明日晴れるかなぁ」という些細で身近なものまで、その全ての思考を止めないことが、働くことであり、精神が生きているということのように感じます。精神が生き生きとしているあり様は、人生が豊かな証拠ではないでしょうか。

 

ただ、仕事=働くということは思考の結果による1つの選択肢なだけであり、それが全てではないので、育児、趣味、家事、恋愛など、あらゆる場面において、自分にとって心が、人生が豊かになる原動力や手法を自分の中に見つけ、実践することができれば、それはとても幸せな生き方でしょう。

 

自分が納得する人生を、世間体や社会の評価などもろともせずに、確固たる信念のもと、自分の考えを軸に貫き、なりふり構わず進んでいく。

そこに、まだ見ぬ世界、幸せの境地、心豊かな命の源泉につながっているのかもしれません。

 

 

皆さんにとって、仕事とはなにを意味しますか?